古市の歴史

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中世の頃
松尾山から古市を望む
 商業活動が広まる頃、古市は1600年頃までに交易の場所として徐々に形成されていきました。昔は、但馬・京都・播州・有馬への交通路の交叉点に位置していました。交易商人が物々交換をする場所としてひろまり、それにともなって、人々が移り住み、町並みが形成されていきました。


中央の独立した山のこちら側の麓が古市
   
明治28年頃(1895)の古市の写真 天神山より撮影される。

江戸時代
不破数右衛門の遺品のレプリカ
不破数右衛門の
遺品のレプリカ
 江戸時代になると急激に交易が発達して、宿場町・問屋町として篠山藩の経済の中心となっていきました。藩に出入りするほとんど全ての物は、古市の問屋を通じて行われることが公許されていきます。中でも塩・茶については厳しい問屋制度が敷かれていました。大きな酒造家がいくつもできました。旅籠も軒を連ね篠山藩随一のにぎやかな町になっていきました。この頃に現存する社寺のほとんどができました。
 蛭子ご神体の盗難事件の伝承も生まれましたし、忠臣蔵の不破数右衛門との大きなつながりも生まれました。
伊能忠敬測量起点の道標(文化14)
伊能忠敬測量起点の道標
(文化14)
事故による破損
2013.6.30 am6:00
自動車が道路元標に衝突し
ドミノのように道標もなぎ倒して木端微塵になった
 古市村道路元標
大正9年に各市町村の
道路起点
として設置されたもの
事故による破損 
車を運転していた人は軽い打撲のようだったが
歴史遺産はエライコッチャに…

 
宗玄寺の屋根の上から古市の
北側を臨んだ画面。
当寺撮影された16o映画の1コマ
撮影者:菅野迪郎
 
 江戸時代の面影を残す風景
江戸時代の面影を残す風景(昭和11)
江戸後期の旅館(米家旅館)
江戸後期の旅館(米家旅館)

 
明治・大正
古市尋常小学校
古市尋常小学校
 明治になって「古市尋常小学校」が建てられました。そして、「阪鶴鉄道」(現在の福知山線)が明治32年に開通し、古市銀行なども創業しました。この頃、カフエなども多く存在し、賑やかさはピークを迎えました。現在の蛭子神社も明治30に新築がなされました。
 

 学校のミニ歴史へもどうぞ
明治4年の常夜灯
明治4年の常夜灯
今田銀行の跡
今田銀行の跡
阪鶴鉄道の機関車阪鶴鉄道の機関車

     
 明治40年頃の古市の地図
明治40年頃の古市の地図

 
 古市に過ぎたる宝三つあり

辻の立石(道標)  常夜灯   彦やんの嚊

 
昭和
昭和15年の義士祭
昭和15年の義士祭
 昭和の初期には数多くの店が軒を連ね、繁華街を形成していました。年末には一大誓文払いが開催されました。また、義士祭が行われるようにもなりました。しかし、一方では、鉄道交通の発達により、交易の町としての機能の衰微が潜んでいました。
 昭和後期には国道バイパスができ、衰微の拍車がかかってきました。
現在の義士祭
現在の義士祭
料理家の跡
料理家の跡
昭和7年建立の顕彰碑
昭和7年建立の顕彰碑
 

 
平成
地蔵盆での一こま
地蔵盆での一こま
 福知山線が複線電化になりました。交通量は増加の一方で、400年前の交通の要衝は今もそのまま重要な位置を占めていますが、町は往事の賑わいを失ってしまいました。それでも、十日蛭子や地蔵盆にはひとときの賑わいを取り戻します。
ウナギを喰う会で歓談
ウナギを喰う会で歓談
にぎやかに義士祭
にぎやかに義士祭
複線化工事
複線化工事

もうちょっと詳しく

 最盛期の古市には、およそ44にも及ぶ屋号がありました
鍵屋 西の鍵屋 寅松屋 横屋 増田屋 角屋 加茂屋 磯志屋
傘屋 横又の米屋 馬屋 住吉屋 小西屋 住治 はりま屋 鍛冶屋
仕立屋 菱屋 松森屋 紺屋 たじま屋 見世 飴屋 斧屋
丁子屋 上の米屋 中の米屋 下の米屋 見内屋 丸屋 井筒屋 すみ屋
寅松屋 角斧 台湾屋 なんでも屋 蛭子屋 桶屋 黒板屋 フジマス
飴久 日進堂 宝屋 吾屋 梅の屋 藤の家    

 商売の数は (通称名を用いました)
旅館 商人宿 馬宿 運送業 料理・仕出屋 カフエ
薬屋 雑穀屋 傘屋 魚屋 八百屋 米屋
精米所 黒板製造業 製瓶業 林業 飴屋 大阪常便
金融業 古物商 桶屋 金物商 煙草屋 大工
石工 料亭 造園業 ボタン工場 包帯製造 文具・書籍
自転車屋 タクシー 鶏肉屋 牛肉屋 人力車 産婆
カルメラ お好み焼き 醤油醸造 建具屋 鍛冶屋 化粧品屋
小間物屋 ブリキ屋 質屋 電気工事 豆腐屋 饂飩屋
布団屋 呉服屋 染物屋 薪炭業 洗濯屋 キャンデー
和菓子 日用雑貨 酒造業 肥料業 歯科医 散髪屋
針灸 ガソリンS 魚網製造 パーマ 不動産 小児科医
書道塾 油屋 流通問屋 下駄・履物 製茶業 按摩
塗料小売 釣り具 酒小売業 算盤塾 仕立屋 駄菓子屋
洋服店 宝飾業 パチンコ屋 水道工事 電器店 紙コップ工場
代書屋 土木建設 回転饅頭 郵便局 農協 レコード店
バイク屋 風呂屋 猟師 物流問屋    

 姓はこんなにたくさんの種類がありました
赤井 赤瀬 秋岡 秋田 足立 荒田 井川 池田 井口 石井
石川 市嶋 市橋 井田 井上 今北 今西 今村 上田 梅津
大垣 大月 大西 大道 大山 岡田 岡原 岡本 荻野
奥田 奥谷 奥村 小島 小田 表西 鹿子木 片峰 角川 金田
兼吉 川島 来住 岸野 岸本 喜多川 北村 北山 木村 木下
吉良 切本 久保田 熊沢 黒田 小稲 光明 神山 後藤 小林
古家後 小藪 近藤 酒井 阪本 桜庭 佐々木 佐藤 設楽 志智
清水 下渡 白井 新美 菅野 杉原 杉本 鈴木 数元 瀬川
高橋 田口 竹内 竹野 田坂 田中 太治 谷後 玉田
多谷 辻本 常見 鶴田 遠山 栂崎 鳥鷹 中井 中尾
中沢 長澤 中島 中西 中堀 並河 中山 二階堂 西尾 西川
西田 西谷 西山 布谷 萩田 橋本 波部 原田 樋口
表野 平地 深田 福島 福田 福西 藤岡 藤田 藤本
藤森 藤原 富和 本庄 前川 前田 前畑 牧野 増井 松岡
松木 松下 松原 松宮 松本 丸井 右下 南口 簑田
宮川 村上 室谷 森国 森本 安積 山崎 山添
山田 山中 山本 横山 吉竹 吉田 吉村 米口 米田 矢野
若狭                  


 大雑把な年表
寿永3年(1184) 義経古市を通る (2月4日説あり)
応仁元年(1467) 酒井党着陣(異説あり)
天文年間(1532-1552) 夷の石像の伝承とされる時代
天正6年(1578) 八上城落城
慶長2年(1597) 酒井久左衛門自庵を結ぶ(宗玄寺開基)
慶長14年(1609) 篠山城築城開始
寛永14年(1637) 酒井三郎右衛門秀次 油井村から古市へ移り住む
寛文3年(1663) 本佛免許(宗玄寺)
延宝5年(1677) 宗玄寺寺号免許
貞享2年(1685) 『篠山藩領地志』著される
元禄15年(1703) 赤穂義士討ち入り
正徳6年(1716)  『篠山封疆志』著される(蛭子社廃絶の記)
宝暦8年(1758) 『堂宇寺社改』 (宗玄寺・蛭子祠記載) この間に蛭子祠が建立される
寛政6年(1794) 『丹波志』著される
文化11年(1814) 伊能忠敬が古市を測量する
文化14年(1817) 道標建立される
文政10年(1827) 『宗門人別帳』(現存) 総人口284人 63戸
文政12年(1829) 石橋稲荷が神祇管領より公許
安政元年(1854) 地震で宗玄寺鐘楼倒壊
安政末(1860) 古市大火 鍵屋酒蔵燃える
嘉永5年(1852) 『多紀郡明細記』著される
嘉永7年(1854) 蛭子社に石灯籠 現在地に移転か?(嘉永7年に改元)
明治2年(1869) 全郡百姓一揆
古市大火ありと伝わる
明治4年(1871) 廃藩置県
常夜灯建立
明治5年(1872) 多紀郡は四大区二九小区に分けられ古市は第二小区として分類された。当野村・古市村・住山村・古森村・草野村・油井村・不来坂村(ほかに辰巳村ほか一八ケ村)
古市郵便取扱所設置される(古市54番地 喜多川宅 取扱範囲 古市村・今田村)
学制発布
明治6年(1873) 油井村に小学校設置される(油井学校)
明治7年(1874) 宗玄寺に小学校「益習舎」あり(創立年月不詳)
明治9年 (1876) 古市に大火ありと伝わる
油井学校は「益習支校」となる「益習舎」は「第百六十番小学校」となる
明治11年(1878) 古市に「古市村ほか12ケ村戸長役場」が設置(喜多川吉兵衛宅 66番地)
この時の区域は、 波賀野村・波賀野新田村・見内村・南矢代村・矢代新村・犬飼村・古市村・油井村・古森村・草野村・不来坂村・住山村・当野村
明治14年(1881) 松尾山高仙寺より妙見堂が現在地に移設される
明治17年(1884) 『古市村誌』著される
古市銀行設立
戸長役場が小林藤兵衛宅に移転(古市8番地)
古市銀行設立される(古市7番地 ?)
古市小学校が宗玄寺の西隣に建築(尋常科・簡易科)(20年説もあり)
日本風建物で、正面二階建側面平屋、建坪60坪、二教室22坪、体操場40坪
明治18年(1885) 波賀野新田の旧篠山藩郷倉の跡地に「笹山警察古市分署」設置
字限図が作成される
古市郵便取扱所移転(古市58番地)
明治23年(1890) 字限図が改訂される(109番地〈現公民館=古市小学校〉は宅地表示)
明治25年(1892) 今田銀行古市支店開設(古市19番地の1)
村役場が双葉楽園に移転(古市78番地)(双葉楽園は当時の公園)
明治26年(1893) 古市に「第20区受持巡査駐在所」を設置
明治27年(1894)  日清戦争
酒造組合の記録あり
 酒造高  小林重太郎(384石912) 藤田彦太郎(408石872)
宗玄寺鐘楼再建される(安政元年の地震で倒壊による)
明治29年(1896) 蛭子社大規模再建はじまる
明治30年(1897) 蛭子社竣工 正遷宮祭典が行われる
明治31年(1897) 古市郵便取扱所が移転・電信を取扱開始(古市14番地 荻野宅)
明治32年(1899) 阪鶴鉄道が三田〜篠山(篠山口)間を開通
明治35年(1902) 古市郵便局と改称される
明治33年(1900) 第百三十七銀行古市支店開設
古市小学校新校舎落成・現小学校に移転(波賀野新田へ)
小学校跡は黒住教会となる(年月不詳)
明治37年(1904) 日露戦争
明治41年(1908) 古市村議決書書き始め
明治42年(1909) 無限責任信用販売購買組合が設立(事務所は藤田梅之助宅)〈農協の前身〉
明治43年(1910) ハレー彗星接近
明治43年(1910) 役場移転(古市村4番地 藤田好一所有建屋を借用)
明治年間に創業していた事業所は
   斧屋合資会社(食料・石油・肥料)
   古市銀行・今田銀行
   小林誠一郎酒造場
   来住定太郎織物工場
   小林常三郎酒造場   (兵庫県統計書による)
古市の藤田彦太郎貸家を巡査駐在所とする(波賀野新田に新築のため一年間のみ)
不来坂古市共有山問題解決(中味は不詳)
消防組の年2回の練習日を決める
古市銀行が73番地あたりに移転している(古市郵便区全図より)
明治45年(1912) 恵比須神社祭典を明治49年と決定する(改元あって、この件その後の記録なし)
大正2年(1913) 役場移転(古市村7番地)
大正3年(1914) 有限責任信用販売購買組合に改組(事務所 古市七番地古市村役場内)〈農協の前身〉
第一次世界大戦始まる
大正5年(1916) 古市村青年会を設置
大正6年(1917) 社寺登録のため蛭子神社境内を本村共有宅地登録の決議をする
青年会に本村祭事を取り扱わせる
青年会の基本金拾円を給付
黒住教会畳替えの寄附決議(小学校跡は黒住教会となっており、公会堂を兼ねた)
地蔵祭を青年会の年中行事と定める
秋の蛭子例祭に素人相撲を開催
大正7年(1918) 電灯開通
スペイン風邪大流行
大正8年(1919) 松木運送店創業
大正9年(1920) 民家火災あり
妙見宮第一回修繕寄附153円支出 引き続き事業継続を決める
酒井熊蔵祈念碑建設地貸与を承認(矢代村出身古市在住の力士、明治2年の百姓一揆に参加の記録あり)
大正11年(1922) 元だんじり小屋を賃貸する
青年会補助金全廃
大正12年(1923) 古市銀行債務整理に入る
波賀野新田秋葉神社石鳥居・石柵の寄附金を決める
古市銀行支払い停止 倒産続出
大正13年(1924) 古市郵便局が移転・(古市10番地 木造二階建)
古市郵便局電話交換業務開始(加入数47口)
古市郵便局に公衆電話設置
大正14年(1925) 不来坂変電所開設
昭和2年(1927) 古市運送合資会社創業(古市68番地)
昭和3年(1928) 石橋稲荷百年祭
古市銀行支払停止
昭和4年(1929) 摂丹バス弁天〜古市・古市〜三田運行
十日戎を各町当番に戻す
昭和5年(1930) 庚申祠に石灯籠寄進あり
昭和6年(1931) 古市銀行解散指令
金融株式会社解散
蛭子神社拝殿屋根修理
波賀野新田秋葉神社屋根替え正遷宮に寄附金拠出
昭和7年(1932) 中島五郎吉 庚申堂寄進
宗玄寺に不破数右衛門の碑建立
村の役員の選出方法を決める 惣代副惣代は全村より選挙する
昭和8年(1933) 村有大ヘラ山林原野を売却
昭和11年(1936) 古市銀行預金者精算集会(増田屋旅館にて)
昭和12年(1937) 摂丹バスが真南条街道の運行開始
信用販売購買組合が現農協の場所へ新築移転する
昭和14年(1939) 第二次世界大戦始まる
昭和15年(1940) 各種統制・消費規制等戦時体制が強化される
古市商業組合出来る(古市からは30店が参加 現在に残るのは五事業主 旅館は不参加)
紀元2600年式典により、記念植樹等が盛んに行われる
昭和18年(1943) 金属回収令により宗玄寺梵鐘供出
昭和20年(1945) 松茸大豊作
昭和23年(1948) 古市健康保険組合設立
古市商工会設立総会
昭和25年(1950) 古市の事業所は 摂津合板古市分工場 大東薬品古市工場
民家火災あり
朝鮮戦争始まる
昭和28年(1953) 材木搬出で駅賑わう
この頃、地蔵盆に天神山より打ち上げ花火行われる
昭和29年(1954) 黒住教会跡に公民館建設される
福知山線にディーゼルカー運行
昭和30年(1955) 合併により丹南町発足
民家火災あり
町営住宅出来る
子ども義士義士行列復活
昭和33年(1958) 共有山の中山売却
昭和34年(1959) 農協が有線放送(電話)を始める
公民館焼失
昭和36年(1961) テレビ共聴組合発足 有線で各戸に配信する
紙コップ工場火災
昭和37年(1962) 公民館再建
昭和38年(1963) 多紀郡信用金庫古市出張所開設(古市22番地)後中兵庫信用金庫となる
昭和39年(1964) 国道バイパス出来る
古市簡易水道敷設
昭和41年(1966) 東兵日本交通タクシーを古市駅に配置
古市郵便局局舎建替(古市10番地 木造平屋)
昭和47年(1972) 電話がダイヤル自動化 電話が各戸に普及する
古市郵便局電話交換廃止
昭和50年(1975) 中兵庫信用金庫古市支店が不来坂地内に移転
宗玄寺梵鐘再建される
昭和52年(1977) 道路舗装される
昭和56年(1981) テレビUHF中継局運用開始
昭和58年(1983) 台風大被害
昭和59年(1984) 民家火災あり
古市駅無人化になる
昭和60年(1987) 蛭子神社正遷宮行われる
清流会(青年会)最盛期を迎える
昭和61年(1986) JR単線電化完成
昭和62年(1987) 郵便局が不来坂に移転(不来坂三十代の坪)
平成7年(1995) 阪神淡路大地震発生(1.17)
平成9年(1997) JR複線電化になる
平成10年(1998) 埋設式40d防火水槽できる(下の町地内)
平成11年(1999) 合併により篠山市になる
平成13年(2001) 民家火災あり
平成16年(2004) 町営住宅廃止
光ファィバーが入り始める
猪・鹿・アライグマの被害出始める
台風被害出る
下水道本管工事が出来る
道路再舗装される
平成17年(2005) 庚申道改修工事竣工される(市道国道連絡線)
常夜灯改修される(明治4年建立の一部を補修)
蛭子谷川流末護岸工事される(下の町・横町)
大日待ち行事を廃止する
福知山線尼崎から塚口間で電車転覆107名死亡
平成18年(2006) 農協支店が統合により廃止される
消防サイレンを蛭子神社前に移設(毎日曜正午に自動吹鳴)
見内の保育園が廃止される
大歳神社から脱退する
ホームページ開設
「華やぎの会」発足
古市版「デカンショ節」できる
大焼き肉パーティー開催
消火器実施訓練と老化防止教室開催
「古市一夜夢街道」開催
地蔵盆に「古市小学校トライしようデー」が参加
平成19年(2007) 篠山警察古市駐在所移転してくる(波賀野新田より)
蛭子神社屋根修理・幕新調・提灯全部改修
ミュージック自動放送開始(下校時刻と午後5時)
『これでわかった古市の歴史』刊行される
国道バス停横断歩道改修工事
登下校見守り隊活動開始
「古市一夜夢街道」開催
地蔵盆に「古市小学校トライしようデー」が参加
全住民実態調査実施
古市地区(旧古市村)まちづくり協議会設立準備はじまる