古市村報を見る
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養蚕大打撃 古市村(古市小学校区)では、昭和初期までは養蚕事業が行われ、農家の副業として蚕を飼って生糸の材料になる繭(まゆ)を育てていました。農家ではない古市でも、商売の副業として養蚕をしていましたから、あちこちの山畑には桑の木が植えられ、蚕のえさにされていました。 ところが、昭和5年、生糸の価格が暴落して、その結果、繭の値段も未曾有の安価になってしまい、養蚕をしている人たちが大打撃を被ることになりました。 生糸は「相場」で価格が変動していましたから、「上質の繭」を生産することにより、そ価格安定を図ろうと村人達は努力したのですが、そうすればするほど、桑畑が荒廃していき、奮闘努力がかえって蟻地獄のような状況を呈してきたことが窺えます。 昭和6年発行の『古市村報』に、こんな悲痛な投稿がされていました。(『古市村報』は年一回発行の村役場の広報誌です)
戦時体制へ やがてこの年(昭和6)、満州で関東軍の軍事行動の展開により「満州事変」が起こり、きな臭い時代へと推移していった年でした。 義士祭の行事の中では、『満州事変活動写真会』というものが開催され、一般入場券761枚、小学校児童生徒530枚が売られ、必要経費を差し引いた残金26円3銭が満州派遣軍将士慰問金として送付されました。 やがて数年後、 「愛国婦人会」とは別に、「国防婦人会」も組織されていくようになり、昭和12年には、「防空演習」も行われ、灯火管制の要領も啓蒙され、ガス爆弾に備えての「防毒マスク」の普及もされていったのです。我が家にもゴム製の防毒マスクがありましたが、あれで防毒が出来るのか、大いに疑問を持っていましたが・・・。
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