解説 |
@ |
お断り 漢字・数字・カナ使いは変換した。 |
A |
尋常小学校五年生の吉田良作君から見て35、6年前は明治30〜31年のことである。(1897〜1898) |
B |
吉田良作君の家=古市2番地であった。今も駅の方に降りる里道の面影が残っている。 |
C |
酒井繁雄君の家=今の見内踏切の近辺。 |
D |
鉄道はまだ開通されていない時期である。 |
E |
線路沿いに駅から見内踏切へ通じる道は鉄道開通後にできた。学校へ入る『幸橋』の所は尾根になっていて、大塚谷川の水は南に流れて『裏池』に入っていた。鉄道開通工事で切り通しとなり、大塚谷川の水は北に流れるようになった。 |
F |
大きな汚い池とは=『裏池』と呼ばれ、駅の陸橋から踏切あたりまであった池のこと。 |
G |
信用組合=今のJA駐車場の北側の端にあった。(栂崎さんの西側) |
H |
池と藪との間に細い道=中の町から駅に通じるJA西側の道は鉄道開通後広げられたもので、当時は細い里道だった。 |
I |
横町の池の向こうの山=丸山のことか。 |
J |
「きよめ墓」=現在の門徒墓のこと。 |
K |
大きな木=榎木があった。 |