古市昔話−2−

戦中の記憶


 現在も、あちこちの村を尋ねると、どこかにひっそりと置かれている記念石があります。

 古市には蛭子神社の境内の隅に、高さ50pばかりの苔の生えかけた石があります。よく見ると『紀元二千六百年』と刻まれています。

 紀元二千六百年とは、神武天皇の即位から数えて2600年に当たるということで、昭和15年(1940)に全国で盛大に式典がおこなわれ、記念植樹もされました。

 日本が米・英・蘭(アメリカ・イギリス・オランダ)に宣戦布告をして、太平洋戦争に突入していく前年でした。

 昭和12年(1937)に起こった廬溝橋事件、昭和13年(19380)には『国家総動員法』が公布され、さらに昭和14年(1939)には「日ソ武力衝突」が起こり、歴史は昭和16年(1941)の「真珠湾攻撃」へと移っていく時代でした。
 
昭和15年にはこんなことがありました。


隣保制が全国一斉に完成しました。以前からあった隣組がさらに強化され、自治会の下部実行組織として機能するようにされ、物資の配給や防空演習に積極的に参加することなど、国策遂行の末端組織として位置づけられたのです。そしてラジオやレコードで歌われたのが『隣組』という歌でした。

 隣組  作詞:岡本 一平<著作権消滅> 作曲:飯田 信夫<JASRAC管理>
  <曲は許可を受けて配信している所から聞いてみてください>
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とんとんとんからりと隣組 格子を開ければ顔なじみ
  廻して頂戴回覧板 知らせられたり 知らせたり


とんとんとんからりと隣組 あれこれ面倒味噌醤油
  ご飯の炊き方垣根越し 教えられたり 教えたり


とんとんとんからりと隣組 地震や雷 火事どろぼう
  互いに役立つ用心棒 助けられたり 助けたり

とんとんとんからりと隣組 何軒あろうと一所帯
  こころは一つの屋根の月 纏められたり 纏めたり


 隣保制度は今も自治会組織の中で機能しているのです。

耐乏生活が押し寄せてきました。
 『米穀管理規則』が公布になり、米や麦が国家で管理されるようになりました。配給制が実施され『食管法』へと続いていきます。パーマネントの禁止や学生の長髪の禁止(丸刈りにすること)も実施され「日の丸弁当」(飯の真ん中に梅干し1個……日の丸のデザインに似ているから)の生活が奨励されました。

砂糖・マッチが配給統制になり、砂糖は一人一ヶ月に300g、マッチは一人一日に5本でした。昔の「火打ち石」が復活したそうです。

国民服が制定され、祭典や儀式にも儀礼章をつけて礼服としても扱いました。ゲートルを巻き、戦闘帽をかぶるのが通常となっていきましたし、女性はモンペが常用されることとなりました。
  


紀元二千六百年という歌が大流行しました。詞も曲も公募によるもので、1万8000以上の応募作の中から選ばれたそうです。軽快なメロディーは、一方での耐乏生活を耐えていく力となったのかも知れません。

 紀元二千六百年   作詞:増田好生<著作権無信託>  作曲:森義八郎<全信託>
<曲は許可を受けて配信している所から聞いてみてください>
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金鵄輝く日本の 榮ある光身にうけて
 いまこそ祝へこの朝 紀元は二千六百年 あゝ一億の胸はなる

歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて
 はるかに仰ぐ大御言 紀元は二千六百年 あゝ肇國の雲青し

(以下略)
 
 ところが、すぐさま替え歌ができたのです。ちょうどタバコが値上げになりました。いや、今も値上げになるということですから、目下大流行の曲に替え歌がつけられるかも知れませんねぇ。
「金鵄」上がって15銭 栄えある「光」30銭
 今こそ来たぜ この値上げ 紀元は二千六百年 あゝ一億の民は泣く

「金鵄」上がって15銭 栄えある「光」30銭
 それより高い「鵬翼」は 苦くて辛くて50銭 あゝ一億のカネがいる 


「金鵄(ゴールデンバッド)」「光」「鵬翼」は当時の煙草の銘柄です。平均61%値上げされました。

古市で海軍士官学校に行っていた方のものです

お隣の住山地区には、舞鶴爆撃の帰り道に、上空を通ったB29が、残った焼夷弾を落としていきました。勤労動員・竹槍・食糧増産・松根油・学徒動員……。そうして月日が経っていく内に、やがて戦争が終わりました。

古市にも戦死者が出ました。15家庭が戦没者の遺族となってしまいました。そして今も校区の「戦没者追悼式」が続けられています。
昭和22年(1947)になって、ようやく届いた「戦死の公報」です
戦争は、大事な家族を奪い去っていったのです。たった一つの小さな記念石からも、私たちの村をかけすぎた様々なことが窺えました。