常夜灯の仮説


 古市の常夜灯は「明治四年」に建てられたと年号が刻まれています。何のために常夜灯が建立されたのか、書かれたものも見つからないし、当時の様子を知る古老も既に亡い。
 他村の例からみると、
  ●伊勢参りの無事を願うため
  ●金比羅参りの無事を願うため
など「講」や宗教的な意味を包含するものが多い。

 電気もない昔のことだが、今のような街灯として道路を明るし照らし、交通安全を目的としたものだけではないことは容易に察することができる。
古市の常夜灯はどんな趣意があって建立されたのかを類推していた。

 ●伊勢講が盛んであった?
 ●大歳神社へ参りに行くかわりに手近で済ますため?

いや、それよりも明治4年という年に注目してみたい。
 しかし、この年に古市にとって重大な出来事はない。数年を遡ってみると、明治2年の篠山藩最後のとてつもない大きな百姓一揆が古市を通り、斧屋と住治という商人が、一揆の暴徒に襲撃され家財に大きな損害があったということはある。しかし、そのことを理由に「村内安全」という趣意で常夜灯が建立されたのであろうか? どうもそうではないのではないかと・・・。毎夜毎夜精励に油を補給して点灯されていた痕跡は確実にあるので、生半可なことで建立されたことではないことは確かだ。

他には明治4年には
 ●廃藩置県が実施され篠山県から豊岡県になった
 ●日清修好条約が結ばれた
 ●明治天皇の大嘗祭が行われた
ということぐらいである。
 ・廃藩置県になったからとて、古市に大きな変革があったわけではない。常夜灯を建てる程の経済負担価値があるだろうか?
 ・日清修好条約が結ばれたことと古市の経済負担価値が均衡することだったろうか?

 ところがここに不思議な常夜灯を見つけた。それも大正四年に建立されたものである。常夜灯とは昔の物だという固定観念が思わせることなのだろうが、何も大正になってから建立しなくても良さそうにと思ったのは、篠山市打坂という村で、合併前は西紀町、その前は北河内村打坂という所にある常夜灯だ。

打坂の常夜灯 大正四●年 とある 御即位記念 とある

 この常夜灯を良くみてみると、「大正四年即位記念」ということが刻まれているが、大正4年は大正天皇の即位式があった年で、仮装行列や提灯行列など、国を挙げての祝賀記念行事が行われ、その様子を知る写真も残されている。戦前(昭和健保成立以前)は何かにつけて国威発揚ということなのであろうか、村々には今も「紀元二千六百年」と刻まれた記念物が残されている。

紀元2600年祭の大運動会での仮装行列の記念写真ではないかと伝わる

 明治天皇の即位式は明治2年であった。しかし、天皇の即位は即位式と大嘗祭が対になっているものである。明治2年には、政権交代と大変革のゴタゴタの中で、とうてい大嘗祭が行える状況ではなかった。つまり、明治2年には、取り敢えず天皇が即位したことを表明しての仮の即位が行われ、正式に即位になったのは明治4年の大嘗祭をもって・・ということではなかろうか。

 そう考えると、わが古市村は、「明治天皇の即位を祝って常夜灯を建立した」という仮説に無理矢理結びつけることができるが、どうであろうか?

古市の常夜灯

 何はともあれ、この天を突くドデカイ常夜灯を作るとなれば、それ相当の趣意がなければとても出来たものではない。