ぶらり古市

  


 週末や祝日には古市駅から白髪岳登山の方がたくさん古市の町を通られます。一見何の変哲もない町のようですが、多くの遺産がこっそりと残されています。ちょっと一服しながら、町を散策してみてください。

古市の起源
 源義経が京から鵯越に向かう途中に古市を通ったという伝承が残されるように、古来より交通の要衝でした。その当時は町並みは形成されておらず、1630年頃に油井村の新田として開かれました。篠山八上城(波多野秀治)と組していた油井尾上城主酒井上野介秀正が天正の合戦(1579)で破れ、その曾孫の酒井三郎右衛門秀次がこの地一帯で鍵屋と号する大商人となり宿場の街並が形成されて来ました。鍵屋というの屋号は篠山藩の米蔵の鍵を預かっていた由来です。
松尾山から古市を望む
松尾山から古市を望む

阪鶴鉄道の敷設
 1900年、大阪〜福知山を結ぶ民営鉄道として阪鶴鉄道が計画され、わずかの計画期間の間に鉄道が古市を通ることになりました。当初計画では姫路〜園部を結ぶ鉄道も計画され、古市は鉄道が交わる所とされていましたが実現に至りませんでした。大阪まで2時間かかっていた鉄道も、1995年に複線電化され、大阪まで50分という距離になりました。古市駅はJR福知山線の中で最も高いところに位置し、標高220mです。かつては材木や物資の積出駅としても賑わい、また桜やツツジの名所でもありました。
JR古市駅
JR古市駅

宿場の街 古市
 最盛期は宿屋6軒を始め、馬宿、米屋、酒造屋など殆どの業種が集まり、にぎやかに栄えていました。軒を連ねる街並みの特徴として、度々大火に見舞われ、町並みの半分が焼け落ちるという事もありました。1943年には人口635人という状況を呈していました。1940年代には30軒が商売の軒を連ねていました。

現存する建物
米屋旅館跡
米屋旅館跡
えびす旅館跡
えびす旅館跡
料亭吾妻屋跡
料亭吾妻屋跡
古市銀行跡
古市銀行跡

蛸と鰻と茶と磁器
 明石で捕れた蛸を天秤棒で担いで来ると、ちょうど古市にさしかかった頃が一番旨味の出る頃合いというので、昔は古市の蛸という名物がありました。また、旅籠横久では鰻の蒲焼きが秘伝とされ、遠く大阪からも食通が通って来ました。篠山藩(現篠山市)のお茶は全て古市の問屋を通さないと藩外に持ち出すことは出来ませんでした。王地山焼と呼ばれる篠山藩お抱えの焼き物も、最初は古市焼として始まりました。青磁が数少く残っていますが、その陶土の権益も古市の商人が握っていました。

蛭子神社
 1630年頃、村の南東の谷の山肌から夷の形をした石が出土し、それを道端に祀っていたところ、大層街並が繁昌しました。現在の天理市の丹波市との間にご神体を盗ったり盗られたりという話が伝わっています。最終的に古市に戻すことができず、新たにご神体を造って小さな祠を設けてお祭りをしましたが、それは1850年頃のことであることが最近の研究で明らかになりました。祠は現在の蛭子社の境内の北側半分の場所でしたが、1897年に今の蛭子社が建立されました。夷・蛭子・戎・恵比須など多くの表現がありますが、中国の七福神信仰と日本神話が混淆された結果、いつの頃からか古市では蛭子と呼ばれることになりました。ご神体を模写した御影は夷さまです。毎年1月10日には十日戎で賑わいます。

 蛭子神社の本殿には精緻な彫刻が施され、他には類を見ない贅を尽くした建物です。どうぞごゆっくり観察してください。現在の三田市四つ辻の職人が彫った物と伝えられています。

蛭子の名水
 不破数右衛門の実父・岡野治太夫夫婦と数右衛門の二人の子ども(大五郎・鶴)が寄寓した寺屋敷の井戸が現在も蛭子社境内に残っています。透明度が高く、この冷水はどんな旱魃の時にも枯れたことがありません。水質基準に適合しており、コーヒー・お茶などに重宝されています、ポンプにより蛇口から給水できるようになっています。
蛭子神社
蛭子神社
蛭子神社ご神影
蛭子神社ご神影

宗玄寺と不破数右衛門
 宗玄寺は鍵屋(酒井三郎右衛門秀次)の祖父である三郎右衛門秀朝(誓珍)が1598年に出家して草庵を結びました。赤穂浪士の一人、不破数右衛門の実父の妹が鍵屋に嫁していましたので、赤穂事件の後、実父母の岡野治太夫と数右衛門の二人の子どもと共にこの地に移り住みました。住居としたのは寺屋敷で、現在の蛭子社境内の南側半分にあった屋敷です。江戸討ち入りを前にして、数右衛門は両親に別れを告げにこの地の南、不来坂村まで尋ねて来ています。 
 1918年に宗玄寺境内に大きな頌徳碑が建てられ、以来、村をあげての義士祭が続いています。数右衛門の遺品が伝わっていましたが、明治の廃藩置県の混乱に乗じて持ち出され、その後行方不明となっています。
不破数右衛門顕彰碑
不破数右衛門顕彰碑
宗玄寺
宗玄寺
不破数右衛門の遺品のレプリカ
不破数右衛門の
遺品のレプリカ

公共施設
 古市は明治以後1955年まで古市村の中心をなしていました。古市村役場、郵便局、銀行などの内、その主な物は今も受けつがれています。古市郵便局はこの地方ではいち早く電信取扱局になり、隣村の今田村も集配区域になっていました。集配取扱は今もそのままで、旧今田村は郵便番号が669-21**となっており、旧古市村と同じ分類に入っています。
古市郵便局配達区域図
古市郵便局配達区域図
(明治43)

そのほかの見所
格子のある旧家
格子のある旧家
石橋稲荷
石橋稲荷
道標
道標
案内図 古市村道路原標
古市村道路原標