子どもの楽しみ

能書き
 近頃の若い方が「昔の・・・」という表現を使いますが、ではいったい何年ほど前のことかと聞いていると、せいぜい10年ほど過去のことです。本稿では、若者に因んで、せいぜい40〜50年程度を昔々と表現します。

自然のおやつ
 昔々の子ども達の楽しみは、やっぱりおやつでした。でも、今のようにいろんな物があったわけではありません。

 普段は、柿・栗・野苺・イタドリ・トリモチ・グミ・アケビ など、季節に実をつける野山の物がおやつになりました。山に登ると松の木にトリモチという寄生の植物がついていて、その実は緑色で大きさは米粒ほど。たくさんほおばって噛んでいると、緑色のチューインガムになったのです。松ヤニもチューインガムになりました。ウマンバナとい実は紫色で、口の周りが紫に染まりました。

 畑に成るエンドウ・ソラマメ・キュウリ・スイカ・マッカなども、たまには失敬したものです。自家加工した物は、ハッタイ粉・おかき・炒り豆などでした。

 夏になるとご飯は竹で編んだお櫃に入れましたが、回りにかちかちになったご飯粒が残ります。これをフライパンなどで炒っておやつにもらいましたねぇ。

 ハッタイ粉というのは、麦を炒って石臼で粉にした物です。お湯で溶いてすすったり、団子状にしたり、あるいは新聞紙に包んでもらって粉のまま食べたものです。くしゃみをするとどこかへ飛んでしまったこともありました。砂糖を入れてもらうなどということは滅多になくて、せいぜい塩を一つまみ入れてもらう程度でした。

 オカキはお餅を薄く切って、火鉢であぶり、醤油味のものもありました。中にはオカキ用として、豆入りのお餅をついてオカキにしたこともありました。火鉢で炙るのはいつもおばあさんの役目だったようです。焼き芋・蒸かし芋・つるし柿もありました。

 食パンの耳を油で揚げたものもありましたが、これは一年に一度ぐらい食べられたら幸運でした。なにせ食パンというものが高級食材だったのです。

買い食い
 お店でおやつを買ってもらえることは珍しかったものです。森永キャラメルはとても高級に思えました。グリコキャラメルにはミニチュアのおまけが付いていました。カバヤキャラメルというものがありました。キャラメルも一個売りがありました。

 私の村にもカバヤキャラメルの宣伝カーがやってきました。カバの胴体をした自動車で、「おっちゃーん!!」と頼むと、大きな口を開けてくれました。今はもう見かけることができなくなってしまいましたねぇ。

二個一円という飴がありました。50銭というお金はありませんでしたから、一個は売ってもらえないのです。一度口に頬ばったら出せないほどの大きな飴もありました。

缶入りドロップという物がありました。イチゴやミカンなどの形をしていました。

アイスキャンデーというものがありました。ミルク・アズキ・コーヒー・イチゴなどという色や味がついていました。キャンデーの棒は割り箸でした。「キャンデー!! キャンデー!!」と、青い箱を荷台にくくりつけた自転車に乗って売りに来ていました。

かき氷というものもありました。しかし容器は木の薄へぎを舟形にしたもので、しばらくすると氷が溶け始め、隙間からポタポタとこぼれたものでした。イチゴ・宇治・レモンなどの色の付いた汁をかけてもらいました。ガーガーガーと手回しの氷かき機でおばちゃんが作ってくれました。

かりん糖というお菓子がありました。メリケン粉でこねた紐状の団子を油で揚げた物です。(わかるかなぁー)

丁稚羊羹というものもありました。これは冬場に出ていました。羊羹の味がするのですが、寒天がたくさん入っていたのでしようか、漉し餡の羊羹はとても柔らかいものでした。

アイスクリームというものが都会へ行くとありました。銀の器にこんもりと半円丘に盛ってあり、必ずチューインガムの大きさのウエハスという物がついていました。せんべいのようなモナカの皮のような食べ物でした。ウエハウスを少しずつかじりながらアイスクリームのスプーンを口に運ぶと、星の王子様になった気分でした。

ロバのパンというパン屋さんがやってきたのです。本物のロバに車を曳かせてパンを売りにくるのですが、私は残念ながら実物を見た思い出がありません。

ポン菓子というものが時々村を訪れていました。炭火で大砲のような物を暖めて、栓を抜くと「ボーン!」というものすごい音とともに、お米や麦などのポン菓子が出来ました。砂糖を水で溶いて暖め、シロップにして混ぜるのは贅沢な食べ方でした。

チューチューという氷菓子がありました。細長い風船の中でジュースが凍っていました。

回転焼きというものがありました。これは今もありますね。中にアズキのアンコが入っていました。一個5円でした。鯛焼きやたこ焼きはずーっと後に出てきました。

カルメラという物もありました。砂糖をスプーンに乗せて焼くのですが、炙り具合を調節しないと黒こげになったり、うまく膨らみません。

芋飴というものがありました。白い飴で、棒状の飴が切ってあったのです。この飴は歯にくっついてしまうのですが、とても甘い飴でした。

バナナは今では必ず台所にあるようですが、これは重病にでもならないと買ってもらえない果物でした。まして、メロンなどという物は論外中の論外でした。

おやつを喰うぐらいなら飯を喰え!と言われたものです。でも麦飯はすぐにお腹がすくのです。

50年も前の話でーす。