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都市での一人暮らしが増えて、おまけに近隣関係も薄れ、誰にも看取られずに一人きりで亡くなることが深刻化しているという。今朝の新聞にそんなことが掲載されていた。車いす生活をしている人と同居している老人が風呂で倒れ、それを知っても通報することが出来ず、車いすから落ちて、衰弱して亡くなられたという記事も掲載されていた。 それは都市部での出来事ではなく、かつての町家が軒を連ねている私たちの古市という所にも全く条件が合っているので、空恐ろしい感じがする。 記事には、千葉県松戸市の常磐平団地の例が掲載されていた。 大規模団地ではあるが、人口は1970年代から減少傾向にあり、高齢化が進んで半減しているという。ちょっと古市との比較表をつくってみた。
この団地では2001年から孤独死が増え始め、見回りや一人暮らしの登録など自治会と地区の社協や民生委員が連携して「孤独死ゼロ作戦」に取り組んだそうだ。 孤独死ではないか?と、「まつど孤独死予防センター」に通報があった65ケースが分析されていた。
という分析であった。親族に発見された者はすべて既に孤独死されており、しかも65例中にわずかに9例というではないか。発見率は14%で、しかも、助かった人は一人もいないというのである。 友人や隣人、そして見守り組織の発見率は50%に達しており、そのうち、友人や隣人が早期に発見することにより、30%の人が命を助けられている事実は、いったい何を示しているのであろうか。 「遠くの親戚よりも近くの他人」という諺がある。親族に発見された人はほぼ100%が既に孤独死をされている。孤独死の発見率も、救助率も一番高いのは「隣人」である。 「孤独死防止には、暮らしぶりをよく知っている隣人や友人とのネットワーク強化が大切」と、分析した聖徳大学准教授の福山康之氏がコメントされていた。 孤独死の危険性が高い人々 「ないない尽くし」生活習慣 という見出しで、こんな表も載っていた。
こういう生活習慣が「孤独死」を招く要因なんだそうだ。 ぴったり古市にあてはまりそうだ。農村市域であれば、ぐるりを見回せば誰かが田圃で仕事をしているが、古市はそうではない。みんな家の中にいる。それは長い年月に培われてきた「商家」という生き方だったのだろう。家を留守にすると接客が出来ないから、じっと家にいるということが習い性になっているのかも知れない。みんな家にいるのだが、出会う機会が少ないのだ。 「孤独死」は他所事ではない。私たちの地域にもあったのは事実だ。お互いにますます老齢化していく。一人暮らしでなくても、その頼りとする家族も老齢化し、見つけたもののどうすることも出来ないで、共倒れになって行くやも知れない。 頼りになるのは「向こう三軒両隣り」である。この団地は、「孤独死ゼロ作戦」の活動のおかげで、「年寄も安心して住める団地」として評判上がり、入居希望者が多く、空き家が無いという。 私たちも、本当にしっかりと考え直さなくてはならない。昔からの生活習慣(根性)を見直して行かねば、結局は自分自身の所に帰ってくる。「情けは人のためならず」と言うではないか。 この頁を書いていると、子ども達の下校を知らせるミュージックが自動吹鳴で鳴り始めた。この音楽を合図に戸外へ出て、子どもを見守るとともに、大人や老人達は声を掛け合い、コミュニケーションを持とうというのである。が、家にすっ込んでいてはコミュニケーションはとれない。「孤独死予備軍」の道をまっしぐらなのか? 古市を離れて暮らしている息子や娘達よ。ふるさとの爺婆に、どう生きたら良いか、便りを出して欲しい。 <<参考:引用 2008.5.28 『神戸新聞』 朝刊 18頁>> |
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