交流の動き


トップサミットが開かれました 2006.6.15

 古市と波賀野新田の両自治会は、昔からほとんど同じような村の形成が進んできました。

 つまり、どちらも商業活動が主たる生活経済の市場を作ってきました。

 軒並み商店街が連なり、同じような店がありましたし、どちらもその当時(江戸時代初期)は近郷から、あるいは遠隔地から集まってきて集落が形成された町です。

 戦後徐々に衰退が始まり、虫食いのように空き地が出現しているのも全く同じです。

 古市は80戸、波賀野新田は50戸ほどの地域です。

 この地域を二分しているのは、大墳谷川という幅1メートルほどの谷川なのです。

 ところが、長い歴史の中では、古市は南側の村々とグループ化され、波賀野新田は北側の村々とグループ分けされてきました。その結果、末端自治体として、隣同士で1メートの幅の川をはさんでいるにも拘わらず、ほとんど交流がありませんでした。

 篠山市自治基本条例が10月1日から施行されますし、地域のことは地域で行うというとりくみに目覚めていかなければならないのは、まさに私たち自身なのです。

 そこで、第一回の二自治体間トップサミットが6月15日に開催されました。

 最初の会談ですから、
  少子高齢化の抱える問題
  小学校改築の問題
  駐在所の改築の問題
  生活道路の安全の問題
  イベントへの関わりの問題
(義士祭)
  防犯防災に対しての協力関係の問題

など、まるで国際サミットの縮小版のような課題が浮かび上がってきました。

 しかし残念なことには、どちらの側も相手の村のことをよく知らないのでということでした。
両自治会トップ会談
真剣に村の実情を語り合う両村のトップたち
 「隣のことは隣のこと」と、知らぬ半兵衛では、自縄自縛の将来が見えてきそうです。せっかく軒が連なっている町並みですから、互いに連携を図ることを模索しようと言うことになりました。
 協力関係を模索していこうという両自治会の動きは100年ぶりかも知れません。


義士奉賛会の発起人会が開催されました。
 2006.9.10

 古市は赤穂浪士の一人の、不破数右衛門と大きな関わりのある村です。戦前は村長直々に委員長になって「義士奉賛会」結成され。村を挙げての一大イベントが催されました。

 しかし終戦の年、学校から失火して、義士祭の道具一式も灰燼に帰してしまいました。

 そのあと、GHQから「仇討ち」の内容のイベントは禁止されたため、10年間の中止に追い込まれました、

 昭和30年、波賀野新田と古市のごく少数の有志が、子ども達の事業にと「子ども義士行列」を再開したのです。

 しかしその後、何度も「義士奉賛会」の結成の声があがったものの、義士祭が終わると次の年まですっかり忘れ去られるという状況が今日まで続いて来ました。のど元過ぎれば暑さ忘れる と言うのでしょうか、それとも、元々無関心層が多かったのか?

奉賛会発起人会
奉賛会結成のために両自治会の発起人会が開らかれました

 子ども義士行列は、両自治会の中を練り歩ききます。子どもはもちろん、両老人会も女性グループも協力参加して行われています。

 発起人会で多くの賛同者を募り、立ち消えになっていた「奉賛会」を確固たる組織にしようと検討が為されました。引っ込み思案や、あなた任せではとうてい実現不可能でしょうから、大の大人の初会合の行方を、皆さんでしっかり見届けて行きたいものです。

自分たちでアイデアを出し、自分たちで物事を進め、自分たちで完成の喜びを味わう

逃げないで、自分の出来ることをしていく風土を作ることが

自分たちの村を守り活性化させていく小さな一歩なのです

格差社会が進もうとしていますから、なおさら

もう一度昔の原典に戻る必要があります