限界集落


 限界集落とは、65歳以上の高齢者が、人口比率で住民の50%を超えた集落のことを指し、長野大学教授である大野晃氏が、高知大学教授時代の1991年に最初に提唱した概念と言われています。

 中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきており、このような状態となった集落では、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされており、共同体として生きていくための「限界」として表現されています。

 旧国土庁が1999年に行った調査においては、やがて消え去る集落の数は日本全体で約2000集落以上であるとしています。

 また、限界集落以前の状態を「準限界集落」と表現し、55歳以上の人口比率が50%を超えている場合とされ、また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうというのです。

 集落のみならず、近年では「限界自治体」という言葉も唱えられはじめているようです。


古市の実情

 古市は江戸期から宿場町として栄えてきましたが、明治以降の資本主義経済の社会構造とともに、また、昭和中期以降の郊外型大型店の進出などにより、急速に商業活動が衰退していきました。

 地場産業を持たず、農地に遺存する農業地域でもなく、宿場・商店街として経済活動をしてきた村ですから、経済活動が地域外で盛んになってきますと、「何の取り得も取り得もない村」という言葉は過言ではないかも知れません。

 商家は次々と店じまいをし、家の跡取り達はサラリーマン化していきましたし、若者の都市部への流出は止めることができませんでした。つまり、「家業」という概念が成立しなくなったのです。

 2006年8月現在の古市の年齢グラフは次の通りです。


 このグラフの数値になっている人数は、
   1.住民登録がされていなくても、実際に地域内に居住している者を計数。
   2.住民登録があっても、実際に地域内に居住していない者は除外。
住民登録のみの幽霊住民
高齢等により都市部の子ども宅等離郷して、帰郷の可能性の薄い者
   3.字名は古市であっても、飛び地で住民は他の自治会に所属している者は除外。
   4.社宅等に居住し、個人が自治会に加入していないものは除外。
などの条件下で個々に確認したものを用いています。

 ただし、学生等で住民票を置いたまま離郷している者は計数に加えましたが、実は名前も年齢も知らない方がいましたし、一度も顔を見たことのない方もいました。また、老人の一人暮らしだとばかりに思いこんでいた家庭で、実は孫と同居しているという方もあり、びっくりしたものです。

 さて、この実数を公表することは差し控えますが、実数を元に「限界集落」と「準限界集落」の計数計算をしますと、
  限界集落計数 43.3%
  準限界集落計数 59.6%
となってしまいます。まだ50%を超えていないから大丈夫だと思われるかも知れませんが、若者の転出状況は非常に流動的で、学校を卒業するとどのように対応されるかによって、残りの6.7%などは、あっという間に突破していきます。それは、計数計算の分母となる総人口が若年者側で極端に少ないと言うことをグラフから読み取れるからです。

 事実、地域の祭礼行事を執り行うのにもなかなか大変な状況ですし、冠婚葬祭も葬儀社の普及もあいまってのことではありますが、隣組(隣保)でお手伝いをするのも人手不足が生じています。

 残念ながら、昔からのよき伝統ではあっても、取捨選択して、廃止すべきものは廃止して行かざるを得ず、近隣の他集落との祭礼についても、構成メンバーから脱落せざるを得ない状況にあります。

 自治会の集会を開催しても、世代交代はうまく出来ず、老人会の総会と全く同じ状況を呈しているのです。昔は一定の年齢に達すると「隠居」するといって、世帯の主導権を譲っていたのですが、譲るべき相手もなく、またあっても、職業の関係から地域共同体の担い手として参加してもらうことは極めて困難な状況で、腰を曲げた老人達が右往左往する状況になっています。

 篠山市は今年10月には「自治基本条例」というものが施行されることになっています。これは極端に解釈すると、
  1.行政の役割と自治会(住民)の役割を明確にすること。
  2.地域の自立をめざしていくこと。
と理解出来ます。

 しかし、「限界集落」にとっては、どうあがいても妙手が生み出されません。「限界集落」はやがて「消滅集落」となっていくという学説ですから、「消滅」していくことが解っている集落に対しての財政投入や、基盤整備を行うことは、行政効率からいうと無駄なことかも知れません。つまり、今となってはもう遅きに失したということが言えると思うのです。

 古市は、国道が2本通り、JRの駅を持ち、交通手段は最適の場所です。そして、往古から、水害や風害、地震などで大きな被害は全くない所です。しかし、絶対的な平地面積が狭く、商業活動を目的として人が寄りあって来た場所ですから、楼蘭のように砂に埋もれるのが運命の集落かも知れません。

 地域共同体としての機能は、もう風前の灯火みたいな状況であるわけですが、過酷非情な判断をして将来を推測してみました。


10年後の推測

 今後10年間の間に、地域に行政的投資が行われるとは考えられません。それは、つとに篠山市の財政状況が悪化しているからです。

 今後10年間の人口動態を類推しますと、現在65歳以上の者の内、38名ほどが死去するでしょう。現在50歳代の者の内、4名ほどはが転出又は死去しているでしょう。30代の転入は3名程度、転出は16名ほど、出生は6名程度と類推出来ます。
  限界集落計数 56.6%
  準限界集落計数 54.7%
と推測出来ます。人口は現在の約半分になっています。戸数は約3割が減少し、随所に空き屋が放置されている状況になります。

 今後の日本経済の状況を推測しますと、製造業は益々減少し海外転出が図られると思います。求職先は勢いサービス業に傾倒していくでしようが、いかんせん、市内の人口はそれほど増加せず、むしろ少子高齢化にそって減少していくでしょうから、職場は勢い阪神間に求めざるを得ないかも知れません。

 年が経て、現在の55歳以上の者が全てこの世から去っていったら、限界集落計数はグンと低くなるでしょうが、

 これは古市が昭和中期からたどってきた道と何も変わらないのです。職の困難な地域に帰郷を勧める親はまずいないと思いますから、2〜3の技術職を営んでいる所以外は若者の増加は考えられないのです。離島や中山間地ではない古市なのですが、限界集落の一歩手前の集落なのです。